寝てたが、起きてきて書く。
何をしてたかと言うと、パーリ語の辞書を調べてたのだ。
何が気になったかというと、これまでにブログで使ってきた
「馬鹿」の語の是非についてだ。
スッタニパータにあるマンガラスッタには、
「アセーバーナーチャバーラーナン パンディターナンチャセーバナー」
とある。
このバーラーの語、ローマ字で書くとbālāの語
((僕の大好きなMacBook A1342の予備機を、スノーレオパルドで起動させて、
「ことえり」の「文字ビューア」を使ってaの長音を入力した。なつかしい。
学生時はこんな感じで、レポート、論文を書いてた。))
bālāの語の意味はf. (女性名詞)で、「愚者」とか「青年」とかそういう意味のよう
だ。
もし、bālāの意味が「馬鹿」と、辞書に書いていたら、これまでのブログを
修正する必要はなかった。だが、「愚者」の方がふさわしいようだ。
ということで、これまでのブログを修正して、愚者の語に置き換える。
(ちなみに、
bāla (長音ではない) は、形容詞で「愚かな、愚痴の、無知の; 若い、新しい」とい
う意味。
bālaka はa.形容詞とm.男性名詞の使い方があって、青年、若者、愚者の意味)
若いやつが愚かなのは、昔からなんだろう。僕が年を取ったのだ。